◆4月から南会西部建設コーポレーションに

 会津若松市の西部建設(石川和彦社長)と只見町の南会工業(飯塚信社長)が、2月24日に開催した両社の臨時株主総会において合併することを決議し、4月1日から新会社「鞄会西部建設コーポレーション」としてスタートすることになった。本社は会津若松市の現西部建設内に置き、只見町の現南会工業内に南会津本社を置くこととし、両社の従業員は全員再雇用する。資本金は9860万円で、年間受注高は両社の昨年度決算期における完工高合計約50億円を目標とする。社長に石川和彦西部建設社長、副社長に飯塚信南会工業社長と三瓶紀行西部建設専務が就く予定。

 西部建設(会津若松市桧町1-29)と南会工業(南会津郡只見町大字大倉字前沢口146)の合併は、両社の永年の構想であったが、今年に入り具体化に向けた諸手続きが始動した。
 2月7日に開かれた両社の取締役会において、合併契約書の承認を得て合併契約書を締結、2月24日の両社の臨時株主総会において合併契約書を承認し、合併することが正式に決定した。
 合併にあたっては、建設業界を取り巻く厳しい経営環境の下、西部建設の得意分野である民間建築や公共のトンネル工事、南会工業の得意分野である公共土木工事という両社のメリットを生かしながら、営業力や技術力など多方面にわたり相互補完を図り、確固たる基盤を確立することが、変革期を迎えている建設業界にあって最善の選択であると確信したもの。
 商法等では、合併により存続会社以外は消滅し、支店及び営業所になることとしているが、今回の合併では一方が消滅するということではなく、会津若松市と南会津に本社を置く新会社「鞄会西部建設コーポレーション」としてスタートし、両社がそれぞれの地域において培ってきた実績等を引き継ぐ組織体制とする。
 会津若松市の本社は、会津若松市桧町1−29の現西部建設内に置き、南会津本社は只見町大字大倉字前沢口146の現南会工業内に置く。両社の従業員は当初、全員残留する。資本金は9860万円。年間受注高目標は、西部建設の完工高33億8282万円(15年6月決算)と南会工業の完工高15億7555万円(15年3月決算)を合わせた約50億円を見込んでいる。
 新役員は、代表取締役社長に石川和彦氏が就任することに決定しており、4月1日の役員会において代表取締役副社長に飯塚信南会工業社長と、三瓶貞雄元南会工業社長の長男である三瓶紀行西部建設専務の両氏を選任する予定。
 県内における近年の合併例は、いずれも同一地域によるものだったが、西部建設は会津若松建設事務所管内、南会工業は南会津建設事務所管内に本社を有し、管内別大型合併は県内で初めて。
 合併による指名機会の減少など受注環境の悪化を防ぐため、新会社では国・県が適用する合併による特例に大きな期待を寄せており、市町村に対しても県の指導等により理解が得られることを強く希望している。
 なお、両社の歴史は、南会工業が昭和23年4月に創立者である飯塚政次氏が南会産業を設立し、昭和24年に南会工業に社名を変更。本社のほか車輌課、生コンプラント、砕石プラント、産業廃棄物中間処理場、アスファルトプラント、資材課、檜枝岐営業所を設置している。
 歴代の社長は、創業者の飯塚政次氏に次いで、昭和27年4月〜37年3月まで飯塚岩夫氏の義弟にあたる三瓶貞雄氏、37年4月〜42年3月まで政次氏の長男である飯塚岩夫氏、42年4月〜平成3年3月まで次男の三瓶徳夫氏、3年4月〜13年3月まで飯塚岩夫氏が再度就任し、13年4月から飯塚岩夫氏の孫にあたる飯塚信氏が就任、現在に至っている。
 一方、西部建設は飯塚政次氏の三男である飯塚幸夫氏が昭和49年12月に南会工業会津支店長として就任した後、昭和51年11月に独立、会津若松市に西部建設を設立した。以来、民間建築や公共トンネル工事を得意分野として成長を遂げた。
 飯塚幸夫社長の亡き後、娘婿である石川和彦氏が平成11年12月から就任して現在に至っている。